ASDの元外航船員

発達障害を前向きに捉えて生きてます

「特性」を「仕事放棄」と切り捨てられ、自殺も考えた船員時代

 

自閉スペクトラム症です。暗記能力は高いものの、沢山の情報を素早く、適切に処理することが難しいようです。」

 

昨冬、こう診断された私は内心ホッとしていた。

自分が船員としてうまくやっていけない原因がやっとわかったからだ。

22歳で「大人の発達障害」を自覚した私はこの診断をきっかけに船員の道を諦め、この春より陸上の一般企業へ再就職することになった。

 

しかし、自閉スペクトラム症(以下、ASD)の診断が出るまで周囲の風当たりは強く、「大人の発達障害」については未だ見過ごされる世の中だと痛感した。

 

 

 

入社から1隻目、最初の緊急下船

 

2年前、大手外航海運会社に機関士として入社した当時20歳の私は、発達障害を抱えていることなど知る由もなかった。

学生時代の成績は常に上位で、採用担当者からも「真面目な性格を活かして立派なエンジニアになって欲しい」というお墨付きを貰っていたからだ。

 

海技免状を取得後、入社して最初の乗船となるLNG船(液化天然ガス運搬船)へ次席三等機関士として乗船した。

人事部より3ヶ月程度の乗船で三等機関士へ昇進することが求められており、まずは乗船からしばらくの間、上司である三等機関士と共に機器の整備作業や書類作業を行った。

 

ところが、その様子を度々見ていた機関長からは連日のように注意を受けた。

「気が利かないな。動くべきところで全然動けてないじゃないか。」

「指示されないと何もしないのか?それじゃオイラー(機関士の指示のもと作業に携わる部員)と変わらないぞ。」

 

私は二度とそのような注意を受けないように日々の業務で気付いたことや注意されたことをノートにまとめ、夜間の空いた時間に読み返すよう心掛けた。

この頃は自身の特性など気にもしていなかったため、仕事に慣れれば自然と改善されるだろうと勝手に信じきっていた。

 

そうこうしているうちに乗船から1ヶ月経ち、見習い期間から三等機関士の業務を代行する期間へと移行すると、以下のような問題点が顕著となり、機関長に限らず周囲から注意される頻度が急増した。

 

・やるべきことの優先順位がつけられない。

・報告の内容やタイミングがおかしいと度々指摘される。

船橋の当直航海士から機関制御室(ECR)へ電話が来ると、電話中に機器の監視やメモ取りができない。

・機器を操作する際に周囲やエンジンプラントへの影響等、複数への注意が行き届かない。

・航海スケジュールが変わった際の作業計画の変更が難しく、適切な作業計画ができない。

オイラーとの共同作業ではこちらから指示を出せず、主導権を奪われる。

 

結局、作業計画の段階でSMS(会社が定めた安全管理システム)に従った潤滑油の性状分析、消火・消防設備の点検等の手順書が用意されている定例作業しか計画できず、ついには機関長から「いい加減にしろ!」と激怒されてしまった。

その後も機関長から「改善指導」の名目で度々大声で怒鳴りつけられ、ある時はスパナを床に叩きつけて脅す、机を蹴飛ばす等の行為で恫喝されることもあった。

 

こうした状況が1ヶ月ほど続いたある日、見かねた船長に呼び出され、事情聴取を受けた。

この時既に食欲不振や睡眠障害に悩まされていたため、船長と人事部が相談した結果、次の港で緊急下船することとなった。

 

3ヶ月弱の乗船ではあったが、下船時に機関長より渡される人事考課表の評価点は「1.5」という極めて低い点数だった。(勤務態度や実務知識等の総合評価を1.0~5.0の範囲で点数化したもので、三等機関士への昇進には最低3.0が必要)

当然、下船後は人事部から叱責の電話が入るだろうと覚悟していた私だったが、意外や意外、入ってきた電話は「人間関係が上手くいかなかっただけだろうから次の船でまた頑張れ。」という内容のみだった。

 

今思えば、この時「自分に非はない。人間関係さえ改善できれば船でうまくやっていけるだろう。」と過信しており、1隻目での反省点を振り返ろうとせず、自分自身の特性に気付くチャンスを失っていたとも捉えられる。

 

リベンジの2隻目

 

約2ヶ月の休暇を経て、1隻目とは別のLNG船に次席三等機関士として再び乗船した。

1隻目とは違い、機関長は滅多に怒らない穏和な人柄で、船内の雰囲気も良く、これならうまくやっていけるだろうと自信を持つことができた。

 

しかし、船内の雰囲気が良いという美名のもとに、2隻目ではレクリエーション大会や飲み会が月に3、4回というハイペースで実施されることになっていた。

当然、これらの催しの準備や後片付けは、最も序列が下の私に全て押し付けられ、業務時間外はもっぱらその準備に費やした。

催しの準備が忙しくなるにつれて普段の業務でミスが目立つようになり、この時初めて「マルチタスクが苦手」という自覚が芽生えた。

 

マルチタスクをどうすれば乗り越えられるのか。最初に相談したのは一番身近であった三等機関士だった。

当時私が物事を軽く捉えていたのもあるが、三等機関士からは腑に落ちないハッパをかけられた。

「そんなのみんな苦手だよ。努力が足りないだけじゃないのか?  みんな辛い思いして乗り越えてきてるんだからもっと頑張れよ。」

 

自身の願望とは裏腹に、前述の催しに加えて上司からの雑用対応や多発する機器トラブルといったマルチタスクに忙殺される日々が続き、乗船から3ヶ月経つも三等機関士へは昇進できず、継続乗船することとなった。

 

継続乗船が決まったちょうどこの頃、人事部より陸上社員を含む全社員に「身上調査票」が配布された。

私は空き時間を利用して調査票の「私的な事情」及び「今後の希望」欄にマルチタスクが苦手でうまく改善できないことや、適性を見極めて陸上勤務も経験したいといった旨を書き連ね、メールで人事部へ提出した。

 

自殺未遂、2度目の緊急下船

 

乗船から4ヶ月目、お世話になっていた機関長が下船し、新たな機関長へと交代した。

かねてより面倒見のいい機関長であると聞いていたため、頑張ればきっと評価してもらえるだろうと信じきっていた。

 

しかし、現実は厳しかった。

ある日の夕食終わり、機関長から居室に来るよう呼び出された。

特別なことをした覚えはないと不思議に思いながら居室に入ると、開口一番、大声で怒鳴りつけられた。

「お前見てるとイライラするんだよ!いつ見ても動きが悪いし、もう我慢の限界だ!」

 

続けざまに訊かれた。

「お前の仕事ぶりは船に貢献してると言えるか?」

 

はい、とも言える雰囲気ではなかったため、正直に答えた。

「言えないです。」

 

当然、なぜだ?と訊かれる。

 

何かアドバイスがもらえるかもしれない、というわずかな希望を持って私は答えた。

マルチタスクが苦手でうまく仕事が回らないんです。」

 

しかし、間髪入れずにあしらわれた。

「お前にやる気がないだけだろうが!言い訳すんじゃねぇ!」

 

やりきれない気持ちで気づけば涙が溢れ出していたが、それがさらに機関長の怒りを買うことになった。

「泣けば済むとでも思ってんのか?お前は本当にひねくれた性格してるな!お前みたいな性根の腐った奴は三等機関士なんて任せられないんだよ!」

 

その後も延々と怒鳴られ続けていた私だったが、気づけば自室に一人放心状態で佇んでいた。

この日は一睡もできず、翌日、仕事場である機関室へ向かう足取りは重かった。

 

前日の件もあり、顔色が明らかに悪くなっていた私は休憩時間に一等機関士から個人的に呼び出された。

「昨日、機関長にこっぴどく怒られたらしいじゃないか。機関長は頭に血が上りやすい人なのかもしれないけど、怒られるのが嫌なら四番エンジャー(船における次席三等機関士の通称)も少しは空気読んで行動しなよ。そうしてくれないと周りも迷惑なんだよ。」  

 

一等機関士は神妙な面持ちでこうアドバイスしてくれたが、今まで「空気を読め」と注意されたことはなかったため、すぐには現実を受け入れられずにいた。

「察することが苦手」という特性は当時から第三者が見ても分かるぐらい顕著に表れていたのかもしれない。

 

機関長からの当たりは日に日に強くなる一方で、動きが悪いことを理由に何度も突き飛ばされた。

今思えば、仕事ができない私に喝を入れようと心を鬼にしてくれていたのかもしれないが、当時の私は機関長に対して完全に萎縮しており、パワハラを受けていると思わざるを得なかった。

面倒見がいい、という前評判はあながち間違ってはいなかったのだろう。

 

機関長に呼び出された日から1週間ほど経ったある日の深夜、私は一人甲板上に立っていた。

船内Wi-Fiはかねてより不調で家族とも連絡できず、下船の目安となる時期まであと2ヶ月近くある。

「こんな船に2ヶ月いるくらいなら、死んだほうがマシなんじゃないか。」

「真夜中に飛び込めば当直航海士に見つかることはないし、救助されることもないだろう。」

 

既に精神的苦痛や肉体的苦痛は限界に達しており、覚悟はできていた。

しかし、いざハンドレールの傍に立つと恐怖で足元がすくみ、すんでのところで自殺は免れた。

 

自室に戻って我に返った私は、時間帯的に非常識だとは感じつつも、最後の頼みの綱である船長に電話をかけた。

船長は「部屋に来なさい。」と快く相談に応じてくれた。

居室に案内された私は、数分前に自殺に走ろうとしたことも含め、これまでの経緯を全て話した。

船長は事態を重く受け止め、次の港で下船できるよう手配を進めること、そして人事部や機関長にもこの相談内容を進言すると明言してくれた。

 

一通り話がついたところで、船長は私に語りかけた。

「四番エンジャーは真面目な性格だけど、ちょっと視野が狭いな。周りに困っている人がいたら手伝ってあげるとか、もう少し気を利かせて行動すれば人間関係も円滑になるよ。」

 

気が利かない。1隻目から口酸っぱく言われてきた台詞だが、意識しているつもりでも改善できた試しがなかった。

「自分は、人間的に劣っているんだ。」

こうした諦念を持つことで、下船まで最低限の業務のみを行い、省エネルギーで乗り切ることにした。

 

数日後、5ヶ月間の乗船を経て私は2度目の緊急下船となった。

緊急下船ということで船長・機関長に笑顔で挨拶できるはずもなかったが、船長は「お疲れ様。ゆっくり休めよ!」と笑顔で送り出してくれた。

一方で、機関長へ誠意を持って挨拶しに行くも一切無視を貫かれた。

自殺未遂の翌日以降、機関長からは「いないもの」として扱われていたため、当然といえば当然の反応であった。

 

そして機関長から渡された人事考課表の評価点は「1.2」という目も当てられない点数だった。

 

ようやく自覚した「大人の発達障害

 

下船から間もなく、人事部より面談に召集された。

本来は対面で行うべきところコロナ禍の影響を受けてリモート面談となり、社内の機関士を統括するA氏、人事部の幹部であるB氏、私を含めた三人が面談に参加した。

 

最初にA氏から2隻目の機関長のフィードバックを伝えられた。

ある程度予想はしていたが、「今まで見てきた新人の中で一番動きが悪い」「注意したことを改善できた試しがない」といった多数の問題点を読み上げられ、機関長本人から人事部へ何度も苦情の連絡を入れられていたこともわかった。

 

A氏の発言が終わると、フィードバックについて弁明する間もなくB氏から問いただされた。

「お前が二度も緊急下船することになった原因は何かわかってんのか?」

 

私はその時の想いで素直に答えた。

「上司との人間関係が上手くいかなかったことが原因だと感じています。」

 

するとB氏は2隻目の人事考課表を引き合いに出し、怒り口調でまくしたてた。

「人間関係云々の前に、真面目に仕事してれば人事考課表で1.2なんて評価にはならねぇんだよ!お前が真面目に仕事しないから下船させるしかなかったんだ!機関長から毎日のようにクレーム聞かされて緊急下船で仕事増やされたこっちの身にもなってみろ!」

 

さらにB氏は私が乗船中に提出した身上調査票を取り出し、こう続けた。

マルチタスクが苦手でうまく改善できないとか書いてるけど、社会人ナメてんのか?はっきり言ってお前は仕事放棄してるのと一緒なんだよ!高い給料貰う資格なんてねぇんだよ!」

 

私はこの「仕事放棄」という言葉に茫然自失となった。

現場仕事である以上、結果が求められることは百も承知であるが、いい加減で済ませたことは一度もない。

マルチタスクが苦手、は帰するところただの言い訳なのか。

 

結果的に、現状を正直に記入した身上調査票は私にとって何のメリットをもたらすものでもなく、むしろ人事部に仕事放棄しているとの印象を与えるものでしかなかった。

 

一方的に叱責され続けたリモート面談の最後に、B氏が私に忠告した。

「船に乗り続ける覚悟があるなら、自分はどう改善すべきか明確にして明日また連絡してこい。こちらが納得するまでお前は船に乗せられない。」

 

悠長に自分を振り返る暇もなかったため、面談が終わると私はすぐにネットで調べ始めた。

「人間関係 難しい 改善」

マルチタスク 苦手 改善」

「空気が読めない 改善」

すると、各検索事項に共通して「大人の発達障害」というキーワードに引っかかった。

まさか自分が発達障害なんて…と思いつつも、とあるサイトでチェックリストを用いた「大人の発達障害診断テスト」を受けてみることにした。

 

20問程の設問を回答し終え、テスト結果を見た私はハッとなった。

ASDもしくはADHDの可能性が高いです。」

 

ASDADHD(注意欠如・多動症)の症状は、複数に注意がいかない、察することや対人関係が苦手といった私が乗船中に痛感した弱点そのものだった。

にわかには信じられなかったが、ここでようやく「大人の発達障害」を疑い始めた。

私は早速、当日中に受診できる精神科を探し、とある精神科医のもとを訪ねた。

医師によれば、心理検査や成育歴の聞き取りなどのプロセスを踏む必要があるため、発達障害の診断が下りるまで最短でも1ヶ月はかかるとのことだった。

この日は院内で簡単な診断テストを受け、「発達障害の可能性あり」の結果を貰って帰宅した。

 

翌日、私はA氏に電話し、通院のために1ヶ月程休職させてほしいと依頼した。

A氏は休職について受諾し、前日の件でB氏へ連絡しなければならない旨も見合わせるといった寛大な対応にあたってくれた。

 

そして初診から1ヶ月後、計5回にわたる通院を経て正式なASDの診断が下りた。(ADHDはグレーゾーンの診断)

かねてより人事部から「発達障害と診断された場合船員として配乗できない」と明言されており、船員の実務経験も乏しいため陸上勤務の配属先もなく、私はその月を以て会社を退職した。

 

おわりに

 

日本人の200人に1人はASDと言われており、グレーゾーンを含めると13人に1人という割合になるとの情報もある。

ASDの特性は「空気が読めない」「ルーティンに縛られる」「急な変化に対応できない」「特定の物事に強いこだわりを持つ」といったもので、当然ながら職種の向き不向きがある。

元々がマイナーな職種であるためネット上ではあまり取り沙汰されていないが、船員はASDにとって不向きな職業の最たる例だと言える。

少しのミスが命取りとなり、常に危険と隣り合わせという点では、機関士に限らず航海士においても同じことが言えるだろう。

私は中学卒業後から船員養成機関に在籍していたため、職業適性についてこれまで深く考えてきたことはなかった。

今思えば、学生時代にホームルーム等で実施されるワークシートの結果を真剣に見ておくべきだったと後悔している。

ここ数年、内航海運を中心に船員不足が叫ばれているが、各船員養成機関においては学生の希望と職業適性を照らし合わせ、様々な職種が淘汰されることで私のような末路を辿って欲しくないと願っている。

 

また、私は新卒2年目で発達障害だと気づくことができたが、業種問わず過去には発達障害だと気づけずにパワハラを受けて退職に追い込まれたケースがあると思う。

パワハラは絶対にあってはならないが、「大人の発達障害」への理解が進むことで少なからずパワハラを未然に防げるのではないだろうか。

私も乗船中、主に機関長から幾度となく恫喝されてきたが、どちらかに発達障害の知識があれば私が自殺未遂や緊急下船に至ることもなかったと思う。

そのためにも、一人でも多くの人が「大人の発達障害」について身近に感じて欲しいと切望している。

明るい社会の実現に向けて、発達障害への偏見をなくすことが早急に求められていると思案する。